研修の歴史

歴史のなかで培われた大学病院と市中病院が
協力して医師を育てる、という伝統

東北大学の卒後教育の歴史と変遷

東北大学の卒後教育を語る際には、東北大学三者協議会(現:艮陵協議会)に触れない訳には行かないほど三者協議会というのは重要な仕組みでした。三者協議会はインターン闘争のさなか非入局を宣言した学生の中から発想され、昭和43年に故石川誠先生(昭和43年教室員会委員長)らが中心になり設立されました。この「三者」とは、学生会、研修病院会、大学(教授会・教室員会)の3つを表しており、その話し合いにより初期研修を行なっていこうというものです。その当時の東北大学医学部長の槙哲夫教授は、昭和44年の第1回三者協議会準備会で以下のように述べられています。

「現行の法律とは無関係に、卒後教育はいかにあるべきかの問題につき、現場で直接診療に従事する市中病院の先生方に意見を聞き、東北大学としての望ましい研修形態を確立していきたい。」

この理念は、大学病院が数多くの研修医を抱えていた他大学とは異なり、市中病院との相互チェックや連携などから両者間の緊張感と風通しの良さにつながり、その一方で東北地方の病院への人材確保と優れた実地臨床研修へと結実していきました。これはまさに現行の卒後臨床研修の理念に通じるところがあり、東北大学は約40年前から時代の先取りをしていた訳です。その後、里見進先生(平成5年教室員会委員長:現東北大学総長)が三者協議会をさらに発展させ艮陵協議会という名称に変更となりましたが、大学病院と関連病院が協力して医師を育てていく東北大学独自の伝統が継承されました。

平成16年に現在の卒後臨床研修が必修化された現在においても、その伝統は変わっておりません。大学病院と市中病院ではお互いに長所と欠点があり、これらを理解した上で、大学病院での初期研修を補完するように関連病院との協力体制が作られています。